個性と自由

エロゲーに限らず漫画、アニメ、フィギュアなど
オタクコンテンツを知るようになって10年くらいたつのかな。
オタク〜よりはネットを使用し始めてからというのが正しいかもしれんけど。


どうも、コンテンツを作品そのものではなく・ブランド、製作者、出演者および
それに対する周りの反応のほうで作品を見てしまっている気がしています。



エロゲーの場合、第一作目に出した作品がのちの作品を縛っているのは良いことなのだろうか。
ブランド買いをするには1作目の作風を今後ずっと続けていかないと出来ないですから。
エロゲーは自由に書けるという話もありますが2作目からはある程度縛られるよね。
萌え中心・抜き中心・ゲーム性中心のメーカーが他のジャンルに手を出にくい状況は
それしか作れないというならともかく、手を出したいけど批判来るから作れないという状況は
顧客からしてもメーカーからしても可能性を狭めている点ではもったいないなと。
スタジオメビウスが『SNOW』を出せたのはチャレンジャーだったよねと思う。
その後を続けきれなかったのが痛かったが。



アトリエかぐやの新作の『さくら色カルテット』ですが、モニター応募に落ちたため
プレイできていません。国民年金半年分前納したので金欠なんです。
評判を探すと、かぐやらしさを求めていた人には不評の一方、楽しめている方もいる。
評価が分かれそうなのは全10話中共通ルートが8話で共通ルートにH無な点かな。
プロデューサーか社長に真意を聞かないと分からないですけど、
ヌキゲーのかぐやから『オールマイティー』のかぐやを目指しているのではないかと
勘ぐっています。どんな作品も出せるというのは唯一無二の個性になりえるし、
幅広く製作陣も採用できることになります。HTPチーム結成時からなんとなく伺えますし
実際にライター陣は結構移動などもありました。なのでBY製作陣には良作(75点)クラスを
2連続で制作して世間に認められるようなチーム・メーカーになればいいなと思っております。
私もそれを受け入れられる心構えをしたいな。